2013年10月 9日 (水)

田川組_親鸞聖人750回御遠忌

10月8日田川市の法光寺で「田川組_親鸞聖人750回御遠忌」が営まれた。

お勤めが始まるまで資料展示室でながめたり考えたりした。これだな!ワシの苦しみの原因は 

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・親鸞聖人の最後の御文。娘のことを関東の門徒さんにお願いしている。

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・法座が始まるまで久々の世間話のお堂内。田川組の各寺から5名程づつ集まって約2百人ほどとなるから、久々の方々が多い。多分、若い頃から推進員などもされてこられたりした御同朋なのだろうか

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・雅楽の中の法要の様子。

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・若いお寺さんがたも献花・献香の後の歎異抄の読み継ぎ。次の御遠忌は50年後だが、託す思いからもなされたらしい。

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・御法話の講師は真城義麿師。地獄は「帰るところが無い・同伴者が無く孤独」な世界と源信僧都や、熊谷次郎直実の話などを交え話された。70歳は70年かかって得た70歳。つまらんごとなったではなく、この得た歳でなくては出会えぬ智慧があると。

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・台風接近中であったが横に座っていた爺さまが、「こんなお話を聞けてありがたいことだ。」と言っておられたのが印象的であった。法座におるそのことが一番大事なことと講師も結びで話されておられた。

・夜の部は中止されたが、考えてみれば京都での御遠忌はあの東日本の大震災。それまで原発はあと14造ると言っていた。放射能を消す知恵も持たずに造った原発は、子供のガソリンの傍での火遊びより始末が悪い。ノーベル賞を貰った知恵で火遊びしてきた付けで、人間の知恵はその抜けている想定外に気付かない欠陥がある。仏様の智慧で初めてそれに気付くものだとの思いに浸れた。

ふと孫にこの相続は無理としても会いたくなってきたので、頭を撫ぜてから、台風準備でもと家路を急いだ。

2013年4月 8日 (月)

正応寺_降誕会

昨日までの寒さで英彦山に雪が積もっていたが、やっと暖かくなった。桜は春の嵐であっけなく散ったが新緑が気持ちいい。午前の仏教婦人会の法要に引き続いての午後の降誕会が勤められた。

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one新緑の中の正応寺

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twoお勤め

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three法話は住職。おもにアジアの多くの国々では仏教の一年の行事で一番大切とされている降誕。

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four人は一人だと寂しく、多いとウルサイと一人になりたがる。夢はさめて夢だと知る。釈尊は覚られてそれを伝える言葉に苦しまれた。人々はそのときでないとわからない。そのときでないと聞けない。教えはわかるというより葬儀などのその場でようやく感じとれるものかと。

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five前の田んぼでは蓮華草が咲いている。

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田んぼが始まると、それはそれで色んな煩悩が沸いてくる。他と比べないと進めない自分。比べる限り安住はない。さてさて今年もこうして田んぼに出ようか。

2013年4月 3日 (水)

九重連山の麓の直入町に行った

大分県竹田市直入町の宝円寺というお寺で開催の、直入郡の婦人部の研修会に参加させていただいた。

one久々の瀬の本高原。野焼きは終わっていたがまだまだ寒い。

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two山間にある宝円寺の山門

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three正応寺住職が講師に呼ばれていたので、ワシも同行させていただいた。

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four熱心な婦人部活動である。

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five休み時間に庭に出てみれば鶯が鳴いていて、桜がちょうど満開。石碑の詩もぴったしの季節。「鶯の一声澄みし寺苑かな」(2011年三月古希の年 第15代 英俊 詠む)

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six足元に目を向ければ、かわいいお坊さんの人形。雰囲気がいい長閑さだ。

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ワシもグループに分けた話合いに加えてもらった。人間は自分の物指でしか量れない。その物指を作り続けている、具体的な生活体験などを語り合った。聞くだけでは忘れてしまうが、語りあうと身につくものであるな

2013年3月23日 (土)

正応寺_春の彼岸法要

町では桜が満開のお彼岸。昨夜から急に花冷えのお彼岸となった。

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one正応寺の彼岸法要にお参り。前の今川の桜は三分咲きかと。

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two秋の御正忌報恩講以来の久々の法要。

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threeひと際大きな声でお勤めをしたのだった。

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four今回のご法座は臼杵から陶山法水師がみえられた。法話でドラマ続チャレンジドが。障害を持った先生が生徒に「最初からできないって決め付けてたら答えなんて見つかるわけはないよな」と言う。応援の妻も子に「負けても勝つのよパパのクラスは」と応えて応援する。釈尊も勝ち負けを超えた人生の勝利者といわれていると。

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five夜席では、去年の法話で肝心なことを忘れていたと、「自分で問えるものじゃないんだよ!」と書き。棟方志功さんはこうも言われていると、去年から忘れていたことが気になっていたと。

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去年のツイートは=講師の棟方志功さんのお婆さんの問いに対する「発願回向」の応えの話が良かった。一緒にいたお坊さん方がためらっていると、志功さんはお婆さんの手をとって、「あなたがそういう疑問を持ったということが発願回向ですよ」と応える。お婆さんは「嗚呼そうですか」と歓喜されたという。問うという願を持った、それが仏様から振向けられた願いなんですよと。あの志功さんが目に浮かぶ。

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sun二日目:やっと晴れた。添田公園の桜は満開で、正応寺前バス停の桜も急に開き始め、おかしなお彼岸の開花である。

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six人間は際限なく自分の「ものさし」をつくり続け、他人にも当てはめては善悪と決め付ける。いろんなお話のまとめに大無量寿経の第18願を。

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seven人間の本性はこうだと全てを受け入れようと思っても、執着からは離れられない。それを悲しまれているのが大悲。私に念仏する心が起こったその姿に寄り添ってくださる阿弥陀仏。その成就がお念仏、帰命のこころと。

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あの相田みつをさんの詩も途中で引用された。

せとものとせとものが

ぶっつかりっこすると

すぐにこわれちゃう

どっちかやわらかければ

だいじょうぶ

やわらかいこころをもちましょう

そういうわたしは

いつもせともの

2013年3月 4日 (月)

赤小組(六ヶ寺)の催し

今年は赤村油須原にある通善寺で周辺の六ヶ寺の集まりが催された。

one高い場所にある通善寺。下には平成筑豊鉄道が通っていて、ワシらの高校通学はここまでバスで20kmほど下ってきて、油須原駅からの汽車だった。

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two南に目をやれば岩石山と手前の赤の平野の一部が広がっている。昔から豊かな村である。

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threeお堂の中には60人程の門徒さんとお寺さんが集まった。

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今回はいつものお勤めの後の法話にかえて、パネルディスカッションを試みとして行った。ワシもその四人のパネラーの一人となって、冒頭に5分ほど「大切な人に 伝えたいこと 願うこと」ということを発表した。

それに基づいて色んな意見がだされた。

そのひとつに、願うことは「あたりまえを生きることです」と言い切った意見がみんなの気をひいた。実はワシもそう思うのだが、その普通に生きることが難しいからこのように通っているのだが、よほどの自信があられる聞法者であるな~と思った。

役員などをされている人からも難しい意見が出されたり、意見は尽きない。いささか頭がコンガラガッテきた。

fourふと帰りにお寺の掲示板をみると「続けることの難しさ、続けることの尊さ、続けえる有難さ」とあった。まさにこのことであるな。

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ボロ親父発表の内容(句読点は喋りの切りにも入れています。)

私は「仏法の生活、仏法の相続」ということで、思っておりますことを、お話したいと思います。 今年の二月の法語カレンダーは、高史明さんの、「人間とは、その知恵ゆえに、まことに深い、闇を生きて いる」でした。

高史明さんは、NHKラジオ、第二放送で、「歎異抄」を十週ほど語られました。ちょうど、正応寺の「親鸞 に聞く夜の集い」で、歎異抄の勉強が終了した直後のことで、その、月一度の、三年間の復習のように、繰 り返し聞き、その語りように高さんのファンになりました。

私は、お寺での法要のほかにも、四日市別院や、田川組での色んな催しに、参加させて、いただいておりま す。誰しも思うことでしょうが、聞けば聞くほど、もっと若いころから、聞くことは出来なかったのかなあ と、昔を振り返りもいたします。

昨年の報恩講で、蓮如上人の、「大坂建立」の御文の、お話がありました。病床の蓮如上人が、大坂から、 山科の本願寺の報恩講に、参られている人たちにむけての、最後のお手紙の部分ですが、

「あはれあはれ、存命のうちに、みなみな信心決定あれかしと、朝夕おもいはんべり、まことに宿善まか せ、とはいいながら、述懐のこゝろ、しばらくも、やむことなし」と、信心を得てもらいたい願いが、その 人の宿善まかせとは、わかっているが、といいながらも、願いは、あはれあはれ、やむことなしと、つづら れております。

私は、今こうして、真宗の聞法の場に、ご縁をいただけておりますが、願わくば、子や孫たちも、いつの日 にか、ご縁をいただけるようになればいいなあ、と思いますが、これも上人仰せの宿善まかせであります。 しかし、その小さな宿善の、切れ端のひとつに、私がなれればいいなあ、と願っております。

私は毎日、愛犬と散歩をいたします。先日のことでしたが、家から県道に下りていくと、明らかに里のもの ではない人が歩いていました。リックを背負って、20mくらい前を、英彦山のほうに歩いていました。と ころが、その町の人は、空き缶やゴミを拾いながら、歩いているのです。健康法のウォーキングに、ゴミ拾 いがくっ付いているのです。

暫くして、互いに違う道になりました。そこから、私もゴミ拾いをしてみることにしました。小さなタバコ の吸殻なども、さがしては拾いながら、暫く続けると、ふとお寺で聞いた「人は死んだらゴミになる」とい う話を、思い出しました。

ある偉い人の持論は「人は死んだらゴミになる」というもので、周りの人たちを論破し、言い負かしていた そうですが、お孫さんが幼児癌となり、余命僅かの、ある日、そのお孫さんに聞かれます。「お爺ちゃん、 死んだらどうなるの」と。

自分一人での答えは「ゴミになる」なのです。孫へのとっさの答えは「天国に行くんだよ」と言ってしま ったのです。私たちならば「お浄土に還るんだよ」でしょう。

その話を思い出しつつ、今度は拾うたびに「南無阿弥陀仏」と称え、そのうちにゴミに向かって「あ~あ、 こんなにぺったんこの仏様になって」とか話しかけます。さらに釈迦十大弟子の、愚鈍であったが、わずか な偈と、チリ払いの戒めを保ち、さとりを得たという周利槃特を思い出し「チリを払い、チリを払い」と言 いますと、今までの散歩と意味が大きく違ってきました。

今度孫が来たときには、一緒に散歩をしながら、念仏を称えて、ゴミひろいをしようと思います。これも孫 たちへの、仏法相続の宿善のひとつでありうるな~と考えております。私の願いと、願いに向かっての、今 の思いを語らせていただきました。

2012年12月15日 (土)

四日市別院御正忌報恩講

今日はお寺から宇佐市の四日市別院の報恩講にお参り。昨夜は七時から風邪薬を飲んで寝た。幸い暖かいみたいだが完全武装。多くの同朋という諸仏の声を聞く。阿弥陀さんが諸仏を通して教えを説かれる。南無阿弥陀仏

四日市別院到着
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ぞくぞくと集まる日豊教区の同朋
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別院の報恩講の後に大分県立歴史博物館に行った。今年の企画は「南無阿弥陀仏」で来月14日まで。学芸員から展示の仏像や絵伝などの詳しい説明を聞いた。特に日豊地域は国東半島や臼杵の石仏で知られているように日本への念仏伝来の歴史の柱をなしている。死と隣り合わせの時代の庶民の信仰である。

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2012年11月28日 (水)

御正忌報恩講法座法話の冊子作り

2012年正應寺御正忌報恩講法座の法話を冊子にした。お寺の同朋ばかりでなく、里の婆ちゃんにも、大学の先生にも読んでいただいている。 冊子の最後に作る想いを次のように書かせていただいた。


文字起こし・編集後記

一楽真師(大谷大学教授)の五法座の中から第四法座に的を絞って作成いたしました。
蓮如上人の大坂建立の御文と御一代記聞書きのお話を通して親鸞聖人の現生正定聚などを話されました。

思うに今年は正応寺の「夜の集い」の雰囲気と現在取組み中の蓮如上人の御一代記聞書にぴったりと合ったお話で、より詳しくお説きいただいていることを身にしみて感じました。

役目も義務もない私にとって「念仏の仕事」という言葉は、今している情報発信の意義、これからの暮らしの方向が見えたようで勇気が湧いた報恩講でありました。

「宿善まかせ」とは、なんという素晴らしいことをも生み出すなあと、正應寺の「親鸞に聞く夜の集い」に想いをはせて念仏の仕事をさせていただきました。


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2012年11月10日 (土)

正応寺 報恩講

報恩講一日目の法話は住職。仏教の一般への寺院の最初は祇園精舎。祇園さんとかでなじみの名前で仏説阿弥陀経にと。阿弥陀様は立像。坐像は浄土での姿で立像は娑婆に名乗り出ておられる姿。観無量寿経のイダイケ婦人の前の阿弥陀様は立姿とあると

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休憩時間には「おしるこ」に漬物にミカン。下が調理場なので大根煮の良い匂い。修行の邪魔でござるがこれも修行かな。

親鸞聖人が亡くなられて満750年。国宝級の観光のお寺は奈良に多いが見るだけ。効き目やご利益の社寺だが、釈尊が祇園で始まった心の衆生救済。今、何を伝えるべきか。釈尊も弟子に伝えたのは帰命のこころ、敬える人間になることと。

御文拝読の坊守
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報恩講二日目からの法話は大谷大学教授の一楽真師で、明日まで五回の法座。朝席の話の中で自力修行の例えに炭団(タドン)。修行して磨いてもどこまでも黒い。だが火が外から点けられればその他力の教えで真っ赤に燃えると。教えを聞きそれぞれの道をと
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お昼の御斎の精進料理は一汁三菜と漬物に柚子味噌。多くの人で話も混みあって美味しいおいしいと楽しいひと時だった。

午後のお話に無量寿。阿弥陀様の光に出会うとは自分の闇に気付かされること。光は物に当たって初めて光るもので宇宙空間では光があっても闇。若い頃は光を掴もうと思った。自分を磨けば光るとの思いには出口がない。もっともっとでない生き方をと
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夜席のお話は拝読の御俗姓から。蓮如上人の御文の一つで前々年に吉崎から大阪に移った年に報恩講を困難な時期に続ける覚悟が書かれている。おりしも応仁の乱が終わった混乱の年。人間は煩悩は絶てないが「どうせ」と開き直れば凡夫様になってしまう。流されるではなく、流れに生きてゆくと思うべきかと。

この後の座談で講師に色々なことの教えを受けた。高齢の病人が殺してくれと言ったかと思うと念仏していたりはどのようにに対し、人の思いはいずれも持つのが人間と。ワシもそのように言うなと思って聞いた。いったん終了して更に講師に夜遅くまで話を聞いていただいたのだった。

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報恩講三日目朝席の法話は拝読された蓮如上人の最後の御文。山科での報恩講に大坂の庵から病身に鞭打って一人でも念仏者がとの思いで書かれ読まれた。死ぬも未来、その方向が見えれば勇気も涌く。恨んで生きるか仏心に生きる浄土の日々かと。
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午後の法座まで夜の集いの仲間と語り合いながらの三日間であった。このお話を是非に冊子にしたいと気負いこんでお寺を後にした。

帰り道の紅葉の中のセンターラインが進むべき方向を指し示していてくれているように感じた。現在の世の中は総てが金換算の世だが、金で量れないことを如何に伝えていくか。「落葉帰根」というが死ぬも未来、終わりの無い念仏の仕事だな。
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2012年9月15日 (土)

秋の彼岸法要

正応寺の秋の彼岸法要。仏説阿弥陀経のお勤め。法座は筑紫女学園大学の先生のお話。辛いに一を足せば幸いとなる。その一つは何であろうか。日ごろ子供達の幸いから一を引いて辛いに大人がしているのでは。と仏の心をと。夜席も23時まで熱心に。

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2012年7月16日 (月)

ひ孫たちの法事

 孫じゃない仏の”ひ孫”たちだった。ワシも先祖になりつつあるな~。hi 孫だ!。今の若いもんよりよっぽど仏教に解けこんでいた。

 法要には子・孫・ひ孫らが集まった。他人はワシぐらいだが、ありがちな威勢顕示の親戚接待法要より格段に良かった。子供らも不思議と行儀よくお経を聞いていた。
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 法話もこども向けに阿弥陀様のお話を住職が立って身振りで語りかけてくださった。南無阿弥陀仏。
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 ひ孫たちへの法話:アミダの”ア”は否定。命の限りと、光の限りの否定。限りなき命のゆえに現在の私の命に繋がっている大きな世界。この縦と、横の関係の限りない光。多くの人々との繋がりで私がある。そのお姿は、右手は過去を指し、左手は下げて未来を表している。その間が現在である私と云々

 やがていつの日にか「あ~、あのとき聞いたはずだよな~」と、仏縁に再び廻りあって欲しいものだ。

 読経では、ワシは筑紫女学園の先生からいただいた聖典を開いて、仏説阿弥陀経を住職の後に続いて読んだ。いつの日にか、この子たちと一緒に読経できる日がくればいいが、と思った法要の一日であった。

☆ 筑紫女学園:九州で唯一の女子の四年制大学。本願寺派の念仏者 水月哲英が明治四十年に設立。
    この学園の聖典の見開きにワシは落書している。

後にブッタとなる ゴータマが捨て去った 王宮での豊かさを 私たちは今も 追い求めているのです。 
                          と

 追伸:入院している婆さんに上の印刷を見せたら、「ごいんげさんが子供たちにお話してくれた、よかったよかった」と喜んだ。ともすれば「子供はあっちで静かに遊んどけ」と、ご馳走だけの法要となりがちである。婆さんはそのことを良く知っている。93歳で寝たきりではあるが、めがね無しですらすらとこれが読めるのである。